患者さん・ご家族等一般の方へ
緩和ケアはいつから受けられる?
緩和ケアは、がんと診断されたときから一緒に始めます
「緩和ケア」という言葉に、どのようなイメージを持っていますか?
「がん治療ができなくなった方への医療」「がんの終末期に受けるもの」と思っている方も、まだまだ多いようです。
緩和ケアは、がん治療の初期段階から、がん治療と一緒に受けるケアです。
緩和ケアを受けると、こんなメリットがあります。
- がん治療中に経験するつらい症状(吐き気、食欲低下や倦怠感、痛みなど)が緩和され、がん治療に取り組む力がわいてきます。
- 患者さんやご家族の不安や心配事をお聞きしながら、それらが少しでも解決し、そしてつらさをやわらげるために緩和ケアのスタッフがお手伝いをします
- がんと診断されたことによる社会的な困りごと(お仕事や経済的な問題など)への対応について、スタッフが一緒に考えます。
体調の変化に応じて、緩和ケアはがん治療とあわせて行われます
Point1
がんと診断され、最初のがん治療が開始されます。
痛みなどの症状がある場合は、その症状を和らげます。
つらさを和らげることで、体力の消耗を防ぎ、治療に取り組む力が沸いてきます。
Point2
がん治療中に、痛みなどの症状が出現した場合は、その症状を和らげます。
つらさを和らげることで、がん治療を受けやすくします。
また、がんと診断され、治療を続けることによる精神的なつらさをお聞きし、一緒に対処法を考えます。
Point3
がんが進行し、積極的な治療が難しい時期でも、患者さんが最期まで自分らしく生活できるよう、つらい症状を和らげながら、どのように過ごすかを一緒に考えてサポートします。
「緩和ケア」は「ターミナルケア」とどう違うの?
知っててよかった緩和ケア
がん診断の不安を乗り越える!がん相談支援センターで受ける緩和ケア
このマンガ動画では、肺がんと診断された女性を取り上げます。診断されたことで生じた不安や困りごとに対して、がん相談支援センターの利用などを紹介しています。こちらのマンガ動画をご覧ください。
令和4年度厚生労働省委託事業
家族ががんになったら知っておきたい緩和ケア
がんと診断されたときのショック
このマンガ動画では、定年を間近に控えた63歳で肺がんを告知された男性を紹介しています。まだまだ元気だと思っていた中での突然のがん告知に、頭がまっ白になってしまうのは、当然のことだと思います。そんな彼が目の前の問題をひとつひとつ解決していくことが出来るように支援する ”緩和ケア”の在り方を、このマンガ動画で知っていただきたいと思います。
令和3年度厚生労働省委託事業
緩和ケア体験談(早い時期からの緩和ケア)
緩和ケアは、がんと共に生きる者にとってはなくてはならないもの
乳がん / 30代 / 女性
(ご本人)私は現在もがん治療と並行して緩和ケアを受けています。私が最初にがんと診断されたのは、10年以上前で、30代前半...
初期からの緩和ケア、心も体も楽になります
その他のがん / 40代 / 女性
(ご本人) 希少ガン、発症初期から緩和ケアにお世話になっています。 終末期だけではなく、初期からのケアを受けることができ...
緩和ケアスタッフは前向きに生きるための最高の応援団
乳がん / 50代 / 女性
(ご本人) 「たぶん乳がんだと思います。検査結果がでたら紹介状を書きますので、希望する病院が決まりましたら教えてください...
元気になれたのは、早期緩和ケアのおかげです
乳がん / 50代 / 女性
(ご本人) 私は2018年4月に乳がんと診断されました。がんのタイプが進行の早い化生がんかもしれないと言われ、自分はもし...
病気だけではなく、患者本人の信条、信念も鑑み治療を進めていただけた
その他のがん / 40代 / 男性
(ご本人) 骨盤に発生した肉腫により20年にわたり、治療を繰り返している患者です。8回の手術、粒子線等、機能温存を図りな...
早い段階から痛みなどのケアをしてもらえることを広く知ってほしい
その他のがん / 50代 / 女性
(ご本人)1年前に右母指爪下悪性黒色腫と診断され切除しました。幸いリンパ節に転移しておらず、ステージ0の上皮内癌との診断...
緩和ケアはより良く生きるためにより良い日々を守るためにある素晴らしいケア
肺がん / 60代 / 女性
(ご家族) 緩和ケアは終末期だけではなく、抗がん剤を始める前から受けたらいいと思うんです。副作用の緩和も緩和ケアのほうが...
緩和ケアは、がんと共に生きる者にとってはなくてはならないもの
乳がん / 30代 / 女性
(ご本人)
私は現在もがん治療と並行して緩和ケアを受けています。私が最初にがんと診断されたのは、10年以上前で、30代前半でした。最初の告知はステージ0の超早期のがんでした。がんになったころは、色々な市民公開講座などがんに関わる講演会を聞きに行って情報を集めていました。そこで、早期からの緩和ケアと言う言葉を度々耳にしましたが「早期」が何を意味するのかがわからなかったのと、「早期から」と言う割に先生方のお話に出てくるのは治療がなくなった患者さんのお話が多かったのを覚えています。
その後、初発から4年弱で再発を経験し、また自分自身が検査で遺伝性のがんと分かった時には、悲観的な思いは全くありませんでしたが、自分はがんとは切っても切れない関係にあるのだなと思うようになりました。その頃には「早期からの緩和ケア」ではなく「がんと診断された時からの緩和ケア」と言われるようになっていたと思います。自分ががんと切っても切れない関係にあるのだと思った時まず考えたのは、その後また再発や転移をすることがあるかも知れないということでした。その時に備えよう、と。
そこで、再発の翌年、主治医の先生にサイコオンコロジーの先生と緩和ケアの先生を受診したいと相談しました。しかし、主治医の先生からは、サイコオンコロジーの先生の受診はOKが出たものの、緩和ケアについては「まだ早い」と言われてしまいました。まだまだ緩和ケアは医療者からみても終末期のものと言うイメージが強いのだなと愕然としました。しかし、思いを伝え、主治医ではない他の医療者の方から緩和ケアにつないでもらうことができ受診が実現しました。ちなみに、そのことについて主治医の先生とその後関係が悪くなったということはありません。
再発が分かったこと、遺伝性のがんと分かったことでサイコオンコロジーの先生や緩和の先生に早い段階からかかりたいと思った理由は、どちらの先生も人気があり、いざ本当に困っている時にかかりたいと思ってもすぐにかかれないかも知れないし、本当に困っている時にかかり始めていては先生方と人間関係を築くまでに時間がかかるかも知れないという不安があったからで、最初の受診時からそのことを伝え、それでも良いという了解を得てかかり始めました。
そして、緩和ケアなどにかかり始めてから2年後に遠隔転移がわかり進行がん患者となりました。この時に一番緩和ケアにかかっていてよかったと思いました。いわゆるAYA世代で最初の告知を受けた時、周りには病気のことを相談できる人が全くいませんでした。再発時は、初発時に比べれば、主治医の先生だけでなく、他の医療者の方や患者会などで出会った患者の先輩や仲間も増えました。そして、再発後から緩和ケアなどにかかっていたことで、もちろん進行がんの告知がショックでなかったと言えばうそになりますが、初発時に比べ相談できる人がたくさんいて、しかもすでに人間関係もできている信頼できる緩和ケアの先生が居てくださったことはとにかく心強く、3度の告知の中で一番ショックが小さく、不安も小さかったです。
現在、緩和ケア科では痛みのコントロールや治療の副作用のコントロールに加え、症状や副作用のコントロールで緩和ケア病棟に入院し体調を立て直し、また日常に戻っていくということもさせてもらい、緩和ケア病棟にも慣れることができています。
今後どうしていきたいか、どのような最期を迎えたいかを緩和ケアの先生はじめ緩和ケアに関わる医療者の方々と話すこともあります。ACPは忙しそうな主治医の先生や、治療が終了して出会ったばかりの緩和ケアの先生とするのは私にはとてもできないと思っています。早い段階から出会って人間関係ができ、信頼できる先生とだからそういう話ができる、と思っています。「死が怖くない」と言ったらうそになりますが、安心して相談できる医療者の方々や、安心して過ごせる場所があるということはとても心強いです。
緩和ケアは、最期を穏やかに過ごすためだけのものではなく、がんと共に生きる者にとってはなくてはならないものだと思っています。
(企画担当者からのコメント)
マンガ動画を作成させていただいた体験談です。施設によっては、抗がん剤治療中だと緩和ケア病棟に入院できないこともありますので、各施設にご確認のほど、お願いいたします。
初期からの緩和ケア、心も体も楽になります
その他のがん / 40代 / 女性
(ご本人)
希少ガン、発症初期から緩和ケアにお世話になっています。
終末期だけではなく、初期からのケアを受けることができました。
家族や主治医に言えない悩みや、痛みに対しての緩和、
抗がん剤の副作用で食事が摂れなくなった際、緩和食で
チーズバーガーを出していただいたり、雑談をして笑ったり、
緩和ケアに対する概念が変わりました。
心も身体も楽になります。
緩和ケアスタッフは前向きに生きるための最高の応援団
乳がん / 50代 / 女性
(ご本人)
「たぶん乳がんだと思います。検査結果がでたら紹介状を書きますので、希望する病院が決まりましたら教えてください」
乳がんと確定診断されてはいないが、自分の中では突然のがん告知。
その時、日頃から健康を自負しかかりつけ医もいない自分には、病院を選ぶ方法すら皆目見当もつかなかった。クリニックの医師から近隣の手術可能な病院を3つ紹介されたが、なぜかピンとこなかった。
「がん」である。
自分の中でまず最悪の事態を想定する。「死んでしまう」。
そうなると、最後はホスピスで苦痛を緩和してもらいたい。それが最初に思い浮かんだことだった。ではそれはどこの病院なのか。治療よりも「死に場所」を決めるなんてどうかしている。でもがんと言われたショックはそんな行動すらおかしいとは思えないほど衝撃的だった。
まずはホスピス病棟もある地元の病院に行ってみる。古びた中堅病院だが、中の雰囲気は悪くない。「最期はここか…」そう思ったときにふと目に入った「がん相談支援センター」の文字。その場にいた看護師さんに尋ねると「標準治療はこちらでももちろん大丈夫ですが、病院はほかにもありますから調べてみてくださいね」と言ってがん専門病院が作成した治療に関するパンフレットをくれた。
その時、親戚に看護師がいることを思い出した。リストアップしてもらったがん専門病院にも勤務したことのある人だったので、藁をもつかむ思いで電話して状況を説明する。彼女はまさに精神看護の専門看護師だったので、私の状況を知ると病院選びのこと、今の気持ちやコンディションを聞き取り、落ち着けるようアドバイスしてくれた。
ほんの20分程度の会話だったと思う。でもその時、つらい思いや混乱した頭の中身を聞いてもらったことで、私は病院選びに必要な自分の希望を整理できた。それから実際に紹介状をもらい、がん専門病院の初診の日までの2週間。それが精神的にも一番つらかったが、それでもなんとか初診の日を迎えることができた。
がん診療拠点病院でもあるその病院では初診の受付の際「心のつらさ」がスケール(0〜10)で示され、私は8に〇をした。そして乳腺外科受診後に看護相談を受けさせてもらった。
その看護師さんとの面談は、その後治療が始まり術後の病理結果が出るまでの間4~5回、受診のたびに行い、話を聞いてもらった。それは私自身の心を整理するのに役立った。主治医に相談する内容も一緒に整理してもらった。この看護相談を受けられると思うと病院に行くのも楽しかった。寄り添い支えてもらい、心の苦痛を緩和してもらった。まさに「がんと診断された時からの緩和ケア」である。
そうして病理結果が出て、私は抗がん剤治療を受けることになった。
ここでまた私は不安になった。病院は信頼しているし、治療を受ける覚悟もある。ただ、未知の副作用をどう乗り切ればよいのか。その時の私の一番の不安は通院に2時間半かかる、ということだった。そこで私は病院の医療ソーシャルワーカーと相談し、自宅近くの内科に体調が崩れたときにフォローしてもらえるよう連携してもらった。内科ではあるが、緩和ケアや訪問診療もされている医師なので、がんのこともよく分かっておられるだろうと思っての選択だった。その後1年半、抗がん剤治療と分子標的薬治療を行ったが、幸い大きな副作用もなく、体調を維持することができた。紹介してもらった緩和ケア医とは特に体調に変化がなくても月に一度面談をしている。今は予防接種やちょっとした風邪やアレルギーなども診てもらっているが、基本は面談である。もしも再発かもしれないと不安になった時には一番に相談できる相手だと思って頼りにしている。
これらの出会いから丸3年が経過した。今は年に一度の定期検査の日に前述の看護相談で同じ看護師さんと面談をしている。幸い毎回笑いが絶えない近況報告の時間となっている。地元の緩和ケア医とも引き続き定期的に面談している。再発の不安を抱えながら生活する私にとっては、彼らとのつながりが前向きに生きるための最高の「応援団」である。
元気になれたのは、早期緩和ケアのおかげです
乳がん / 50代 / 女性
(ご本人)
私は2018年4月に乳がんと診断されました。がんのタイプが進行の早い化生がんかもしれないと言われ、自分はもしかしたら半年後にはこの世にいないかもしれないという恐怖に襲われました。
夜も眠れず、朝は起きた瞬間から恐怖に襲われ、ご飯も食べられない日々が続きました。毎日泣いてばかりいました。
手術が終わり抗がん剤が始まった時にも説明を聴きながらも涙をこらえられませんでした。そんな私を見て薬剤師さんががん専門看護師さんと話して行きませんかと声をかけてくださいました。
がん専門看護師さんから公認心理師さんにつないでいただき、週一回のカウンセリングが始まりました。そこから精神腫瘍科にもつないでいただきました。カウンセリングと投薬で少しずつ私は落ち着いていくことが出来ました。
早期緩和ケアというものを知りませんでしたし、自分程度で甘えたらいけないという思いもあり、自分からは扉を叩かなかったと思います。
私は病院の疼痛・緩和のチーム医療に救われました。今、患者会の代表をしたりするほど元気になれたのは、早期緩和ケアのおかげです。
本当に緩和ケアがあって良かったと思いますし、今泣いている方皆さんがこのケアが受けられることを望みます。
病気だけではなく、患者本人の信条、信念も鑑み治療を進めていただけた
その他のがん / 40代 / 男性
(ご本人)
骨盤に発生した肉腫により20年にわたり、治療を繰り返している患者です。8回の手術、粒子線等、機能温存を図りながらさまざまな治療を試みてきました。しかしながら、再発を繰り返したことや、再発箇所から判断し、骨盤を切除するという思い切った治療を行うことしか方法がない、との診断を受けその治療を行うことにしました。
治療は長時間に及ぶ大きな手術と、感染症により壮絶を極め、医療麻薬管理下で離床までに3ヶ月、退院までさらに3ヶ月を要するものとなりました。
長期臥床と耐えられない痛み、変化した体の理想と現実の乖離から回復のイメージをまったく感じることができず、生きる苦痛とストレスで自分自身を見失っていました。
緩和ケアとの出会いは、術後ICUから出てすぐだったと記憶しています。 主治医より緩和ケアチームにも入ってもらうからと伝えられ、一番最初に思ったのは、どうしてターミナルケアなんだ。そんな話は聞いていないということと一抹の不安でした。
15年近く同じ主治医のもと治療を受け、全ての事実が隠し事なく伝えられてきていたので、緩和ケアという言葉がもたらした衝撃によりさまざまな感情がでた記憶があります。
ところが、そんな不安な感情は杞憂に終わりました。
緩和ケアチームが最初に私に伝えてくれたことは、「私たちが行うのはターミナルケアではなく、あなたと一緒に身体的、精神的な苦痛を和らげるために一緒になって考えていきます」ということでした。
それから6ヶ月間、毎日毎日痛みのコントロール、心のケアが行われました。
心のケアでは今まで歩んできた人生観や退院後のゴールは何なのかをじっくり聞いていただき、患者自身が気がついていないことや、本当に望んでいることを具現化し、今できること、頑張ること、その時々で小さな目標(ゴール)を設定していただき、一歩一歩前進していくことができました。緩和チームがヒアリングした内容は医師、看護師、理学療法士とも共有されることで病気だけではなく、患者本人の信条、信念も鑑み治療を進めていただけたことが緩和ケアの存在意義として非常に大きいと感じています。
私たちが病気の治療を受け、退院するのは単なる通過点であり、その先のゴールまでの道のり、困難さはそれぞれ違うけど、その人に合った方法やロードマップを一緒に入院中から考えて支えてくださるのも緩和ケアの大きな役割の一部だと思います。
一人一人、病状が違うのと同様に、歩んでいく人生も違います。
ADLすら満足にできない体になったにも関わらず、私は復職という高すぎる目標を掲げていました。
その目標はのちに達成され今に至っていますが、入院中に出会った緩和ケアと緩和ケアチームのサポートがなければ今の自分はなかったと断言できます。その時には気が付かなかったことが今となって大きな実感として捉えられています。
治療中やこれから治療を始める方で、痛みや気持ちのつらさを抱えておられたら一度、緩和ケアを訪ねてみてはいかがでしょうか。そこから見える光がきっとありますよ。
(企画担当者からのコメント)
ADL:日常生活における動作のことです。
早い段階から痛みなどのケアをしてもらえることを広く知ってほしい
その他のがん / 50代 / 女性
(ご本人)
1年前に右母指爪下悪性黒色腫と診断され切除しました。幸いリンパ節に転移しておらず、ステージ0の上皮内癌との診断で経過観察をしておりました。術後、経過は良好。痛みは少しずつ減少していましたが、術後10ヶ月経った頃、指先の腫れと痛みに気付き受診。ステロイド軟膏で様子見。1週間経っても良くならず、バイ菌でも入ったか。という事で抗生剤を服用してみる。がしかし、腫れは治まるどころかますます腫れて来たため、これはおかしいとエコーで確認したところ、腫瘍が骨の周りをぐるりと取り巻いてました。皮膚表面には黒い部分はまったく無かったのでその時は再発は考えにくいとの事でした。その後も日に日に見るに耐えれないほど腫れ上がり、痛みもかなり強くなっていました。そして生検結果は、悪性黒色腫、メラノーマでした。原発との関連性があるとは思えない、まさか2つの原発?との事でしたが、母指の切断術の結果、白桃色の悪性黒色腫で、病理の先生方が原発との関連性を見つけ局所再発となりました。意外にも術前の痛みが強かったので、早く切って欲しいと言う気持ちでいっぱいでした。
最初に悪性黒色腫、メラノーマと診断された時は正直、最悪の事を考えました。が、元々ポジティブな性格だった事もあり、直ぐに現実を受け止め前向きに考えてましたが、さすがに1年以上痛みと戦っていると辛くなかったと言ったら嘘になります。母指切断後は、今度は新たな痛み、幻肢痛が現れました。そんな時、病室にぞろぞろと5、6人の先生、看護師さんが入って来られ、「私達は緩和医療チームの者です」と挨拶されました。
一瞬にして私の脳裏に「え?私そんなに悪かったっけ?」となぜ?と、ビックリでしかありませんでした。それもそのはず、その時まで、「緩和ケア」=「終末期」と思ってましたから。説明を聞く内に主治医の計らいで痛みのケアの為、緩和医療の先生にお願いした事が分かりました。緩和医療科、精神科の先生方の他、看護師さんに薬剤師さんまで親身に痛みからメンタル面まで聞いて下さり ました。その晩、皆様の優しさに触れ、夜になりベッドで初めて泣きました。自分でも「え?なんで泣いてるの?どうした?」とそれまで特に沈む事も落ち込む事もなかったはずの私が急に泣けて来たので、自分でも理解出来ませんでした。今思えば術後で不安定だったのだと思います。そんな時に緩和ケアチームの方々が病室に来て下さったお陰だったと思います。生まれてから〇〇年付き合った親指とさよならしたので、どんなに楽天家な私でも凹まないわけなかったのですね。現在、退院して1ヶ月が経過しましたが、外来で受診しています。これまで緩和医療科は終末期のイメージでしたが、ステージ2の私のように早い段階からの痛みなどのケアをなさって下さる事を広く知ってもらう事が出来ると良いなと思います!
術後の痛みで辛かった時に親身にケアして下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
緩和ケアはより良く生きるためにより良い日々を守るためにある素晴らしいケア
肺がん / 60代 / 女性
(ご家族)
緩和ケアは終末期だけではなく、抗がん剤を始める前から受けたらいいと思うんです。副作用の緩和も緩和ケアのほうがより細やかにケアしてもらえるし、治療を楽に受けられることを実感。
もっと早く知っておけばと思いました。
なので二度目の抗がん剤治療の際には緩和ケアチームの方に関わってもらったおかげで本人はかなり楽に治療が受けられたのではないかと思います。
楽になることで精神的なストレスも軽減され
食べることなどの楽しみを得られたりもしました。
その後、意欲も高まってきてやりたいことをやるようになりました。
副作用の苦痛やストレスが軽減されたことで、日々の生活が普通に過ごせたのでがんになって末期でも旅行したり、自宅で過ごせる時間をたくさん取れました。
このことにより本人も家族も大切な時間を共有することができ
本人も苦痛を最小限に抑えられました。
亡くなる前もひどく苦しむことなく
最後は眠るように永眠しました。
緩和ケアはより良く生きるために
より良い日々を守るためにある素晴らしいケアだと思います。
怖がらないで心地よい毎日を創るために
一つの手段として選んでみてほしいと思います。
令和3年度厚生労働省委託事業
コロナ禍における緩和ケア
緩和ケアは絶望の医療ではない(腫瘍内科医から勧める緩和ケア)
腫瘍内科医はがん(悪性腫瘍)を診る内科医で、抗がん剤治療などの薬物療法を行うほか、がん治療のコーディネート役も担っています。この動画では、がん研究会有明病院 乳腺内科部長で、腫瘍内科医の高野利実先生にお話を伺いました。一般的にがん治療をやり尽くした後の緩和ケアという考え方が少なからずある一方、高野先生からは「抗がん剤治療と緩和ケアは並行して行うものである」「緩和ケアは医療そのものである」という強いメッセージを語っていただきました。
令和2年度厚生労働省委託事業