患者さん・ご家族等一般の方へ
緩和ケアってなに?
緩和ケアってなに?
がんによる苦痛をやわらげる緩和ケアとは
がんは、日本人の死因で最も多い病気です。現在、3人に1人ががんで亡くなっています。このように身近な病気になった、がん。あなたの大切な方も、がんで悩んでいるかもしれません。
がん患者さんは、がん自体の症状のほかに、痛み、倦怠感などのさまざまな身体的な症状や、落ち込み、悲しみなどの精神的な苦痛を経験します。「緩和ケア」は、がんと診断されたときから行う、身体的・精神的な苦痛をやわらげるためのケアです。
おぼえてください、「緩和ケア」。あなたの大切な方のために、あなた自身のために。
がんの症状と「緩和ケア」
がんによる心と身体の苦痛をやわらげ、自分らしい生活を送れるようにするケアがあります。それが「緩和ケア」です。
がんになると、どのようなことが起きるのでしょうか?
- 痛み、倦怠感などのさまざまな症状
痛みは、がん患者さんの70%にみられます。 - 落ち込み、悲しみなどの精神的な苦痛
- せまりくる「死」への恐怖
- 自分の「人生」に対する問い
緩和ケアとは、がん患者さんの苦痛を取りのぞき、患者さんとご家族にとって、自分らしい生活を送れるようにするためのケアです。緩和ケアは、がんの治療中から、どの施設でも受けられます。
緩和ケアの定義とは?
- 痛みや、そのほかの苦痛となる症状を緩和する。
- 生命を重んじ、自然な流れの中での死を尊重する。
- 死を早めることも、いたずらに遅らせることもしない。
- 死が訪れるまで、患者さんが自分らしく生きていけるように支える。
- 患者さんの治療時から、患者さんと死別した後も、ご家族を支える。
- 患者さんやご家族に、心のカウンセリングを含めたさまざまなケアをチームで行う。
- 生活の質(クオリティ オブ ライフ:QOL)を向上させ、前向きに生きるちからを支える。
- がん治療の初期段階から、外科手術、化学療法、放射線療法などと連携しながら、緩和ケアを行う。
世界保健機関編、武田文和訳 1993.
『がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア、がん患者の生命へのよき支援のために』金原出版
p5-6.の訳を参考に、WHOホームページを意訳。
がんの痛みはとることができるの?
おぼえてください「緩和ケア」
がんになったとき、
病気だけでなくいろいろな苦痛と闘わなければいけないとしたら・・・
痛みは、あなたの生きるエネルギーを奪います。
強い倦怠感は、もうなにもできないという無力感をまねきます。
吐き気は、あなたを一日中不愉快な気分にさせます。
気持ちの落ち込みは、あなたの力を奪います。
希望が見えないことは、あなたを絶望の淵に追いやります。
がんになったとき、
からだや心の苦痛を和らげる治療やケアがあることをしっていますか。
緩和ケアはがん治療を充実させる大切なケア。
苦痛が緩和されれば、おだやかな時間を取り戻せます。
遠慮せず、勇気を出して、言ってみましょう。
「緩和ケアを受けたいです」と。
「緩和ケア」ではどのような看護を受けられるの?
緩和ケアで行われる医療やケアはさまざまです。
以下に主な緩和ケアの内容を紹介します。
- 自分の病気を知り、治療法の選択を助ける
- 痛みなどのつらい症状を取り除くケア
- 痛みを取り除く
- 痛み以外の様々な症状を取り除く
- 日常生活を取り戻すケア
- 食事を楽しむケア
- 苦痛や不快感を最低限にするための排泄のケア
- 夜にぐっすり眠れるようにするケア
- 好きな姿勢をとったり、自然な体位や寝返りをうつケア
- からだをきれいに保つケア
- 患者さんにとって心地よい環境を提供するケア
- こころのふれあいを大切にし、元気になるケア
- ご家族へのケア
- ご自宅でも、緩和ケアを受けられるようにする
知っててよかった緩和ケア
抗がん剤治療と共に歩む緩和ケア - これからの生き方を描く
令和4年度厚生労働省委託事業
家族ががんになったら知っておきたい緩和ケア
先のことを考えるACP、早期緩和ケアの関わり
このマンガ動画では卵巣がんが再発してしまった70代女性を取り上げます。患者さんには抗がん剤治療と並行して、緩和ケアを受けていただくことになったのですが…。緩和ケアチームは最初の緩和ケア外来へは息子さんと来ていただくようにお願いしました。なぜ、緩和ケアチームが息子さんを呼んだのか。そこには患者さんを想う「ある理由」がありました。
令和3年度厚生労働省委託事業
家族として何ができるか
胃がんの60代女性。この患者さんのご家族であるご主人の目線でエピソードをご紹介します。ご夫婦はご主人の定年後に2人暮らしをされていましたが、今回奥様にがんが発見されました。戸惑うご主人が緩和ケアに出会い、どのように奥様のがんに向き合い、奥様に寄り添っていかれたのでしょうか。
令和3年度厚生労働省委託事業
若い世代の患者への緩和ケア
30代女性の患者さん。彼女は若くして子宮頸がんを患ってしまいました。若い世代の方ががんと向き合い、治療する場合には、患者さんご自身が守らなくてはならない家族が存在するということも多いでしょう。若い患者さんがご家族と共に、どのようにがんを治療されるのでしょうか。
令和3年度厚生労働省委託事業
緩和ケア体験談 その人らしさを支える緩和ケア
これからも緩和ケアを受けながら緩和ケアに携って生きていければ、きっと私の人生は悪くない
その他のがん / 30代 / 男性
(ご本人) ちょうど研修医としての研修が終わって少し経った頃、左の膝にがんが見つかり、左足を失うことになりました。どんな...
緩和ケアの支えで私たちは『大丈夫』を手にしていった
すい臓がん / 70代 / 男性
(ご家族) 私の父がすい臓がんになり、治療をしないことを決めたときに、紹介してもらったのがY病院の緩和ケアに携わっている...
最期の時を大切に、自分らしく、それぞれの家族の形らしく
子宮がん / 40代 / 女性
(ご家族) 母は元看護師でした。私は当時高校生でした。 手術を受けるも、病巣が思っていたよりも広く癒着をしており化学療法...
治療で落ち込んだ時いろいろ話を聞いてくださり感謝している
喉頭・咽頭がん / 70代 / 男性
(ご本人) 団塊の世代の私はがん=死のイメージが強い。 定年退職後、少しでも豊かな老後を送ろうと仕事を再開し75になった...
緩和ケア科を受診することなく、緩和ケアというものを受けていたのではないか
脳腫瘍/ 40代 / 男性
(ご家族) 2019年に40才の夫を脳腫瘍で亡くしました。約3年間の闘病生活に、緩和ケア科にかかることはなく、我が家は緩...
“緩和ケア”、それは特別なものではない
肺がん / 60代 / 男性
(ご家族) 私は緩和ケアに携わっている看護師です。そして、父を肺がんで亡くした家族でもあります。今回は、家族の立場から、...
これからも緩和ケアを受けながら緩和ケアに携って生きていければ、きっと私の人生は悪くない
その他のがん / 30代 / 男性
(ご本人)
ちょうど研修医としての研修が終わって少し経った頃、左の膝にがんが見つかり、左足を失うことになりました。
どんなに頭では理解しているつもりであっても、自分で左足を切断する決断をすることには強い苦痛を伴いました。
その頃の私は何の景色を見ても色がついておらず、何を食べても味はわからず、どんな歌もただの虚しい音にしか聞こえませんでした。
そして体の痛みによって気持ちはさらに落ちこみ、ついに私は全く眠れなくなってしまったのです。
しかしそのような時に私は緩和ケアと出会い、辛い世界から救い出してもらったのでした。
私にとっての緩和ケアの良いところの1つは「話を聴いてもらえること」だと思います。私が本当に辛い頃、私は私に関わる医療者の方々に本当に丁寧に話を聴いていただきました。
そうやって話を聴いていただけると本当に驚く程気持ちが楽になるのです。
一方で私は医師としてこんなに丁寧に患者さんのお話を聴いたことはなかったと大いに反省させられたのを今でも鮮明に覚えています。
そしてもう1つあげるとすればそれはやはり「お薬」です。
特に医療用麻薬には随分助けられました。お恥ずかしながら、わたくし、お医者さんであるにも関わらず、最初に医療用麻薬をお勧めされた時に「え~、ちょっと嫌だな~」という気持ちが芽生えてしまいました。
しかしいざ飲んでみると特に変なことが起こることもなく、ただ痛みが良くなったのです(便秘が少々やっかいでしたが担当の先生にうまく対応していただきました)。
痛みが軽く穏やかに過ごせる日々はそれが何のイベントもない平凡な1日であったとしてもとても貴重で、ありがたいものでした。
そうして私はがんが見つかる前よりも鮮やかな色のついた景色を見るようになり、たくさんの美味しいものを食べ、いろいろな歌が心に響くようになりました。
それからも緩和ケアを受けているうちにいつしか私は緩和ケアを学ぶようにもなり、今では緩和ケアを提供する立場の医師として働くようになりました。
私のがんは、治っていません。
ゆっくりとですが今も確かに進行しています。
きっとこれからも大変なことはあるでしょう。
でも、
でも私は、
これからも緩和ケアを受けながら緩和ケアに携って生きていければ、きっと私の人生は悪くないものだと信じているのです。
緩和ケアの支えで私たちは『大丈夫』を手にしていった
すい臓がん / 70代 / 男性
(ご家族)
私の父がすい臓がんになり、治療をしないことを決めたときに、紹介してもらったのがY病院の緩和ケアに携わっているK先生でした。私は海外に住んでいるため、何もできないという焦りがあったのですが、緩和ケアの外来後帰宅した父と電話で話した時に父の穏やかな雰囲気にホッとしたのを覚えています。外来で、先生にそれは丁寧に話を聞いてもらったこと、父はどんな人生を歩んできたかを話したこと、そして、これからどんなふうに過ごしていきたいかを聞いてもらえたことなど、私はその場にいなかったのに、その場の雰囲気が手に取るようによくわかりました。父が「この先生に任せておけば大丈夫だよ。」と言った時、緩和ケアがなければいけない理由がわかった気がしました。
人は死に向かって歩んで行かなければならなくなった時、途轍もない不安に襲われます。さあ、これからどうしようと途方にくれる人も多いと思います。それは患者本人だけでなく、患者の家族にとってもです。でも、その傍らで一緒にこれからのことを考え、患者さんの気持ちに寄り添ってくれる人たちがいたらどうでしょうか。誰かに支えられているという実感を得ることができ、不安はなくならなくとも、心強いはずです。力をもらえるはずです。それが父の発した「大丈夫」という言葉だったと理解しました。父が「大丈夫」だと、私達家族も不思議と不安から解放されて「大丈夫」になるものなのでした。緩和ケアを通して、患者本人と患者家族が人生の最後をどのように過ごすかということを共に考え、その時間を共有しながら、ゆっくりと人生最期のステージへの準備をする。その過程は簡単なものではありませんが、緩和ケアの支えで私たちは「大丈夫」を手にしていったのだと思っています。父を通して私たちが緩和ケアに出会えたことを感謝しています。
最期の時を大切に、自分らしく、それぞれの家族の形らしく
子宮がん / 40代 / 女性
(ご家族)
母は元看護師でした。私は当時高校生でした。
手術を受けるも、病巣が思っていたよりも広く癒着をしており化学療法、放射線療法をするも病態は悪化し、治療をこれ以上続けるのかどうかとなった時、母は迷うことなく緩和ケアに進むことを希望しました。緩和ケアを受ける手筈が整ったころは、ある意味家族はまだ、気持ち的に置いていかれていたと思います。まだ諦めるには早いのでは、とか、なんで?!と。けど、そうやって無理矢理にでも母が他界するという環境を受け入れる準備をさせたかったのかもしれないなと思いました。あとは母一個人としての生き方だったのだろうとも。
緩和ケアを受けるとき、家族もケアの対象者となるのでたくさんの看護師さんたちが私たち家族と関わってくれました。
母にとっては苦痛の緩和、死への準備、自分らしく生きる瞬間の模索ができ、
家族の私たちにとってはたくさんの人に支えられ、時には家族会議でみんなで泣きながら感情をぶつけ合って、残される家族の形を築き、母との別れの準備をさせてもらえたと思っています。
母が緩和ケアを受けている期間は私と母が過ごした時間の中ではほんの一部なのに、母との思い出を思い出す時、ほとんどが緩和ケアを受けていた間の体験や会話や、母の姿を思い出します。
たくさんの素敵な言葉、悲しい言葉、心がはち切れそうになるような気持ち、自分と向き合う時間など、
今思えばなんて貴重な時間を経験できたんだろうと思うことがたくさんあります。
そして、その経験を経たことにより、私自身最後は緩和ケアを積極的に受けたいと思っていますし、ご家族のことなどで悩んでる人がいたら体験を共有するようにしています。最期の時を大切に、自分らしく、それぞれの家族の形らしく過ごすのには緩和ケアが一番だと!声を大にして言いたいです。
治療で落ち込んだ時いろいろ話を聞いてくださり感謝している
喉頭・咽頭がん / 70代 / 男性
(ご本人)
団塊の世代の私はがん=死のイメージが強い。
定年退職後、少しでも豊かな老後を送ろうと仕事を再開し75になったら辞め、家内と海外旅行に行こうと思っているやさきの癌宣告であった。
今まで考えなかった死と向き合う
考えても考えても答えが出ない癌との生き方、死に方。
家内に言っても、なるようにしかならないよ的な答え。
本当に親身になって話を聞いてくれる人が欲しく外来に来るたびに心療ケアセンターの入り口まで来たのだが、門をくぐる勇気がなく。
やっと思い切って門をくぐったのが最後の外来の時であった。
入院して治療のことも心配であったが、どうやって癌と向き合えばいいのか、どうやって死と向き合えばいいのか、聞きたかった。
いろいろと事務の方に話し、心療ケアの先生を紹介していただき、話を聞いてもらった。
私の、全ての悩み、疑問を時間をかけて聞いてくださり豊富な経験、知識から、適切なアドバイスをしてくださり、話し終えた時には私の中にあったモヤモヤが全て無くなっていた、なぜもっと早くこの場所に来なかったのか?自分の勇気の無さをなげいた。
入院中も度々部屋にきてくれ、治療で落ち込んだ時いろいろ話を聞いてくださり感謝しているる。
私のつまらない話も親身になって聞いてくださり、話す事でストレスも無くなり、本当に緩和ケアを受けて良かった。
残りの入院中も緩和ケアにお世話になりながら頑張りたいとおもっている。
(企画担当者からのコメント)
文中の「心療ケアセンター」とは、通院中の病院の「緩和ケア外来」とのことでした。各施設で名称が異なる場合がありますが、緩和ケアのご相談は「緩和ケア外来」や「緩和ケアセンター」あるいは「がん相談支援センター」などの部門におたずねください。
緩和ケア科を受診することなく、緩和ケアというものを受けていたのではないか
脳腫瘍/ 40代 / 男性
(ご家族)
2019年に40才の夫を脳腫瘍で亡くしました。約3年間の闘病生活に、緩和ケア科にかかることはなく、我が家は緩和ケアを受けた経験はないと思っていました。緩和ケア科もあるがん専門病院に通院していましたが、私たちから受診を希望することもなく、脳外科主治医から受診を勧められることもありませんでした。
夫を亡くした直後には、もしも緩和ケアを受けていたら、終末期のつらかった時期をもう少し良い時間にできたのではないか、どうして緩和ケアを受けたいと自ら希望をしなかったのか、と考えました。ただ、時間が経つにつれ、お世話になった方々を思いおこす中で、緩和ケア科を受診することなく、緩和ケアというものを受けていたのではないかと感じるようになりました。
脳腫瘍と診断された直後から、夫には高次脳機能障がいが強く出ており、本人だけではなく、私や子ども達など家族の生活にも大きな影響がありました。そのことを理解し(または理解しようと)、脳外科の先生方、リハビリ科の療法士さん、看護師さん、患者サポートセンターの方々、通所で通っていた障がい者支援施設の方々、ケアマネさんなど、我が家を取り巻く多くの人が介入してくれていました。
その中で、何に困っているのか、何を大事にしたいのか、いつもたくさん話を聞いてもらっていました。家族で旅行に行きたいと伝えた時も、「お守り代わりに持っていって」と万が一のための準備をしてくれたり、「大丈夫だから楽しんできてね」と笑顔で送り出してくれたり、全力で応援してもらいました。自力での歩行が難しくなって介助に困難を感じたときも、皆さんがアイデアを出してくれて、どういう手段をとったら自宅での生活が続けられるか考えてくれました。
病状の変化にともなって、その時その時で変わっていってしまう気持ちをしっかり受け止めていただき、「大丈夫だよ」と支えてくださったことが、我が家にとって最大の緩和ケアだったのだな~と思っています。治療を受けていた診療科から緩和ケア科に移行するような形ではななく、治療を受けながら、自然と、本人や家族をサポートしてくれるようなケアを受けられた事に大変感謝しています。
“緩和ケア”、それは特別なものではない
肺がん / 60代 / 男性
(ご家族)
私は緩和ケアに携わっている看護師です。そして、父を肺がんで亡くした家族でもあります。今回は、家族の立場から、緩和ケアについてお話ししたいと思います。
皆さん、“緩和ケア”について、どのようなイメージをお持ちでしょうか?多分、良いイメージを持っている方は、あまりいないと思います。「最期は苦しみたくない」「痛いのだけは勘弁してほしい」という感じでしょうか?
では、皆さん、人生が終わる最期の時までどのように生きたいでしょうか?「好きなことをずっとやっていたい」「家族と楽しく過ごしていたい」そんな声が聞こえてきそうです。
私の父の話です。パチンコ大好き、競馬大好き、タバコ大好き、仕事で稼いだお金は、全て賭け事に使ってしまう、という父でした。肺がんの告知を受けたときは、「治らないのなら抗がん剤治療はやらない。自分の好きなように生きる!好きなように生きて死ねたら本望!」と言っていました。私たち家族は、父の性格を十分知っていたので、好きにさせようと、半ば放置している状況でした。仕事を片付け退職し、パチンコと競馬三昧の日を送りました。息苦しさがあっても、貯金が0円となるまで、パチンコに通いました。たばこも、これ以上吸えないというところまで吸いました。
全てをやり切った後、「もう満足!俺は、8月20日にあの世に逝くからな。」と宣言し、訪問看護が介入しながら、自宅で普通の生活を送りました。在宅酸素を使用し、息苦しさを和らげるために、医療用麻薬を使用し、最期までポータブルトイレに移り、訪問入浴を行いました。私たち家族は、大変と思ったことは一度もなく、家族も普段とほとんど変わらない生活を送っていました。そして、家族全員がそろっていた、8月19日の夜中0時過ぎ、「たま(玉)・・・!」という最期の言葉を残し父は旅立ちました。私たち家族は、「え…?玉ってパチンコ玉?」と顔を見合わせ、笑いながら父を見送りました。「おーい、じいさん。1日あの世に逝くのが早いぞ…」と。※戒名には「玉」という文字をお坊さんに入れてもらいました。
“緩和ケア”、それは特別なものではないと思います。患者本人だけでなく、残される家族も自分らしく生きるためのケアだと思います。最期までどう生きたいか、自分はこうしたい!とわがままに考えたときに、緩和ケアが必要となる。緩和ケアがあって良かったと父を看取って思いました。
令和3年度厚生労働省委託事業
コロナ禍における緩和ケア
新型コロナ院内感染を乗り越えた緩和ケア医が語る「コロナ禍の緩和ケア」
新型コロナウイルス感染症が蔓延する中、都市部の緩和ケア病棟ではどのように対峙しているのでしょうか。感染第一波において大規模な院内感染が生じた永寿総合病院(東京都台東区)の廣橋猛先生に当時の状況を伺いました。特に面会ができなくなった緩和ケア病棟においてオンライン面会(テレビ電話面会)を開始し、その活動を全国に広めるに至った経緯などお話いただきました。
令和2年度厚生労働省委託事業
新型コロナに対する緩和ケアの必要性
新型コロナウイルス感染症の医療現場において、緩和ケア医はどのような役割を担うことができるのでしょうか。実際に急性期病院の感染症病棟で診療された、飯塚病院の柏木秀行先生に実際の医療現場の様子や、新型コロナに対する緩和ケアの必要性について語っていただきました。
令和2年度厚生労働省委託事業
あなたと、あなたの大切な人の未来のために。今考える緩和ケア。
緩和ケアとは、がんと診断されたときから受けることができるケアです。痛みを早期からやわらげることで、治療も受けやすくなります。これらのメッセージを伝えるため、この普及啓発動画を作成しました。
「あなたと、あなたの大切な人の未来のために。今考える緩和ケア。」
【subtitled version】"Let's talk about Palliative care, for yourself and someone you love"
日本国内の外国語を母国語とする患者さんに参照いただければと考え、平成28年度の普及啓発動画は英語字幕版も公開しています。